2013年2月5日火曜日

小粋なダリ

萎えた



やはりパリはファビュラスであったエピソード。

ダリ展にでも行こうと小雨の中ポンピドゥーセンターに行ってみると、長蛇の列だった。
ダリへの愛より寒い雨の中この列に並ぶことを断念することを選択したあたし。

そんなポンピドゥーセンターを後にして、あてどもなく一人マレ地区をふらふら徘徊している時だった。

目の前に良く見知った顔、しかも昔ニューヨークで個人的にお世話したことのあるかの有名なピアニストが歩いているではないか。
お世話と言っても自分の働いてた学校で練習できるよう算段つけただけで、実際には何もしてないんだけど・・・。

躊躇なくお声をおかけした。
かけた後5秒ぐらい居心地の悪い沈黙があった。
でもいきなり

「あ、ニューヨークのひと。今はパリに住んでるの?あーたの教えてた学校のビルディング、ありゃーほんとに素敵だったね。」

と、彼女独特のまったりとした江戸弁的な言い回しは健在だ。

覚えてくださってたこと光栄の極みである。
あぁ、ほんと銀行強盗できないわ。( ̄▽ ̄;)

その後、その目の前にあるお宅に招いて下さって10分ほどお話した。
まるで森茉莉の小説を地で行くような、ひとつひとつの調度品に味のある、あたしの思い描いているパリの理想のアパルトマンだった(アパルトマンと言いたくなってしまうわ、あれは)。
セレビーでスノッブなパリの西ではなく、マレというあたりからすでに趣味がいい(がはは)。
灰皿の上の吸い殻の無造作な散らばり方やアンティークのガラスのすすけた具合までまるで計算されているかの如く素敵だった。
現代の日本に育った人はこういうふう(これが筆舌しがたいのだけど)な内装の具合には絶対に(絶対だ)できないと思う。 それっぽくはできるだろうけど。

「パリは淋しい。でもパリが好き。パリの街は本当に綺麗だから。綺麗じゃないところはいや。」とおっしゃった後、
「ニューヨークは良かったね。あそこにも住みたいなぁ。昔ぁー原宿も綺麗だったんだけど。」となどと誰に言うともなくポツリと。

彼女のピアノの音は深い。
リストの「ため息」の出だしのアルペジオからいきなり深い。
そして考える間もなく暗くかつ甘美な世界に連れていかれてしまう。
(現代の綿密で知能的、かつミスが全くないピアニスト達と比べられると辛いところではあるかもだけど)

彼女をNHKのドキュメンタリーで初めて見てから、実際にニューヨークでかかわり合うことになり、そしてまた6年後こうしてパリで・・・・。
あたしは彼女の父親の祖国であるスウェーデンに暮らしているのもなんだか因縁めいている、というのは言い過ぎだろうか・・・・・(言い過ぎだな)。

人の出会いというのは、本当に奇異よね。
誰かが上の方から糸かなんかで繰っているとしか思えない。

いや、彼女にこうやって会えたのはむしろ絶大なる人気のダリに感謝するべきかしら。


イケメンも萎えたらしい










2 件のコメント:

yukaroba さんのコメント...

旅先での全く予期せぬ出会い。たった一度会っただけの人であっても、その時の思い出がマックスで蘇るものね・・運命のピアノ線を感じる。そして、恋の予感も・・(映画だったらね)

ところでココに投稿するために行う認識作業:“人による操作であることを証明して下さい”って、さっきから5回もやっているんだけど却下されっ放し・・私は馬かサルでしょうか?なかなか人間と認めてくれません。私は一体ナンなんだーー?!

orie929 さんのコメント...

この広いヨーロッパで、時空を超えたそんな再会ができたなんて素敵ですね!
この再会ってどんな意味があるんだろう、なんて考えてしまいますよね。

ちなみに私は4日のその方のコンサートに行きそびれました…