2014年8月21日木曜日

Journey to Italy 2014 (9): L'Aquila

L'Aquila(ラクイラ)。

地震は本当に恐ろしい・・・これ以外に言葉なし
自慢だった美しいベランダ付きのアパートメントを一瞬で過去にしてしまう


2009年4月6日、アブルッツォ州の州都ラクイラを襲った地震のことを覚えているだろうか。
その後の11年の甚大な東日本の震災で世界はもとよりイタリアの人からの注目も遠のいてしまった感があり、不謹慎にもあたし自身の記憶からもすっぽり抜け落ちていた地震である。

そのラクイラに絶対に行ってみたい、と、いつにもなく重たい調子でジョが言う。
日本の被災地にも行った事ないのに。
ラクイラに行ったら東日本とオーバーラップして、自分が収拾つかなくなるのはイヤだなぁ、などとモヤモヤ思ってたけど、ジョが珍しく見せた真剣さに負けたのだった。

まぁ、よく考えたら死者300人の被害ぐらいなら東日本の約2万に比べたら、アレよ、ねぇ。
しかももう5年も前のことだし。
復旧作業もすっかり終わり街にはきっと活気が戻っているころだろう、とジョも言うことだし、「行ってみても良いかなー」とやや楽観的に思ったのだった。

ある東日本大震災の被災者の方が
「みなさんの記憶からはやがて遠のくだろうが、私たち被災者の記憶からは絶対に遠のかない」と言ってたのを覚えている。
それを聞いた時に「当事者にしたらそうだろなぁ。心中お察しもうしあげるわー。」と思った記憶があるが「他人の言ったことを知識として理解する」ということと「ほんとに心からわかる」ということ、すなわち“百聞は一見にしかず” というのがこんなに違うものかということをこのラクイラへの旅で知った。


その日から干されているであろう洗濯物
地震発生は午後の3時だった


ラクイラは震災から5年経った今でも、あたかも半年前にそれがあったかのような様相を呈していたのだ。
ついこないだまで「街」だったものが、大きな怪物の死骸みたいに横たわっている感じだった。

行ってみるまで、ラクイラがこんなに歴史ある大きな街だったとは知らず、その崩れた建物の文化的価値の高さにも驚愕させられる。
周囲は山に囲まれているのに、そのふもとの小さな真珠のようなこの都市をまるで狙い撃ちしたかのように地震が襲ったのだ。

中心部の18〜19世紀初頭に建てられた美しいアパート群には外に工事用の鉄のパイプが組み立てられているだけでひとっこ一人住んでいる気配はない。
復旧作業している人達もまばらで、ほとんどのビルディングがそのまま放置されているように思えた。
この半分ほったらかしのような現状はイタリア人のジョもまったく知らなかったらしく、非常にショックを受けて唖然としていた。
夏休みで作業を停止していたのだろうけど、それにしても・・・。

目抜き通りのバールには人々の安否を記した沢山のメモが
これ以上立ち入り禁止で近づけず


街の建物の前には「この教会を建て直すためには4ミリオンユーロ(4億5千万円)」「この劇場を建て直すためには10ミリオンユーロ必要」など、天文学的な復旧工事費用をしめした表示がかつては優美だったアーケードに怒るように貼られていた。

危険な場所のはずなのに、あたしたちがふらりと入れてしまう建物が、そこここにあるのにもびっくりした。
というか、あたしたちがこうやって容易に立ち入ることができるのにもかかわらず、かつてそこに住んでいた人達が震災後5年の間に戻って来た気配がまったくないアパートや店舗が沢山あるのはどうしてだろう。

変わり果てた姿になった自分の家へ戻ることは、それほど辛いことなのだろうか。
そのあたりの事実は良く判らないから気安くは書けないけど、床に放りっぱなしのおもちゃの持ち主の子供の安否を否が応でも想像してしまう。
言葉にできない不可解で不条理なことだらけなのだった。

ジョも「街の人に今の状況を聞いてみよう」なんて最初は意気込んでいたのに、たまたま開いていた(何軒か開いているお店はある)バールのご主人にはショックすぎて何も聞けず。
あたかも寄付するような気持ちで意味もなく何杯もコーヒーやプロセッコを頂くだけの無力なあたしたちだった。

ピアニストの内田光子が(これ前にも書いたが)
「この世で一番恐ろしいのは『それを知らない』ということです。その事実から離れたところにいる人はその事実の本質を知ることはないということです。」
の真意が少しわかった一日だった。

地震やラクイラの惨状が怖いというだけではない。
世の中には本当は自分の知らない事だらけというその事実と、あたかもなんでも人々に知っていると思わせてしまう、まるで誰かに操作されているようなこの情報社会が、本当に怖い。

被災されたすべての方達の心に平安が早く戻りますように。

合掌します。


危険と思われる建物にも容易に入れる

それでも聖人へのお花は絶やさない









0 件のコメント: